チャリのチラシの裏(難民キャンプ)

ニコニコブログ滅亡による引っ越し

引っ越ししました

ニコニコブログ爆発死亡(餓死)による引っ越しを余儀なくされ、はてなに引っ越しました。ずっと書いてないのでこれからも書くかどうかわかりませんが。

ツイッターで満足してるわけじゃないのでたまには書くかも。でも期待しないでください。

 

動画もしかり。週刊メダルゲームがぜんぜん週刊じゃない問題は最初から、というかそういうボケなので(言っちゃおしまい)気長に待ってください。

ブログ更新を気にするくらいなら動画を少しでも進める方が多くの人に応えることになると分かっているので、ブログに対してはこれからもオマケ的なスタンスでいます。

 

動画のストックはあと15本くらいですかねだいたい。

それが尽きたら終了するか超遅ペース投稿になります。

 

 

あいさつ代わりに何か貼り付けるとするならなにかな。

自分の動画を貼っておきましょう。

 

www.nicovideo.jp

エッセイ⑤ 慰安旅行

ラジオをお聴きになってここを覗く方もいるかもしれませんので 
さすがに久しぶりに何か書こうかしら いつものように とりとめもなくですが



ノスタルジア: nostalgia)またはノスタルジー: nostalgie)とは、

  • 異郷から故郷を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に郷愁(きょうしゅう)・望郷(ぼうきょう)など。
  • 過ぎ去った時代を懐かしむこと、またその懐かしさ。同義語に懐古(かいこ)・追憶(ついおく)など。
  • また上記の2つの意味から派生して、懐かしさに伴う儚さ、哀しさ、或いは寂しさ、しみじみ想いを馳せる心境のこと。→エモーショナル(若者言葉の「エモい」と同義)、センチメンタルメランコリックな感情をもたらす。

と定義される。

wikipedia より



日常のどうでもいいことに神経を取られ時間を取られ
やるせない思いで身体を浪費し わずかな金のために人生を削られていく
忸怩たる日々を送らざるをえないのが現代人であって 
自分も当然その一人として 基本的にはつまんねー毎日を過ごしてしまっているわけです

脳ではくだらない細事の解決に向けて やりたくもない脳内会議の末
どう転んでも不本意な決定と それにしたがい動くための具体的な命令を下す
自分という「会社」の脳内のあらゆる「部署」にストレスをためる日々です

そんな会社の「慰安」ともいえる作用が「ノスタルジーを感じること」でありまして
その自己対話のために「出かける」(思う)わけであります
記憶の普段出てこない「社員」をつつく そして反応する

これはまさに めったに顔を合わせない地味な仲間と仕事抜きで話す喜び
または同窓会にレアキャラが現れ ジイサン同士でやいやい盛り上がる感じでしょうか


実家を離れた者にはだれでもわかる 実家に一時戻った時のあの感じ
安心感 とかいうけれど もっと違う五感からの感覚があるでしょう

嗅覚はいうにおよばず そこにしかない草の匂い もっと人工的なものでも
土くれ あるいは下水由来のものであっても 一瞬肯定的に捉える
聴覚もそう そこにしかないなにがしかの音 それを我々の記憶照合機能は聞き逃さない

そして決定的な 風景 いや それは風景ではない もっとパーソナルなもの
細部にこそ その痛烈なノスタルジー刺激は宿る

たとえば他人にはなんでもない 家の周りをつらつら歩き
自分ちあるいは隣の家の 
軒裏のブロック塀の特定の箇所の 石の凸凹具合すらも 見れば鮮明によみがえり
その形しかありえないこと またそのままであること 
それをわかるのはまず自分だけであろうということ
そういう理屈が理屈にならないまま 強烈な記憶バックとして視認と共に襲ってくる

柱の傷はおととしのー とか
そんなんじゃない そんな簡単なメモリアルな事じゃなくて

寝ていた和室の天井の木目 顔に見えていたその部分
あるいはトイレの壁の特定の箇所にある それは実にちょっとした模様の特徴
そこに 「何十年どうにもなってないんだよ」 とツッコミたくなる シミ 汚れ 変形

そういった細部の視覚記憶を軸に 聴覚 なにより嗅覚を伴いつつ
自分という脳内会社は 自分発祥の地を巡り 魂の慰安旅行へ出かけているのです

なにも田園風景がどうとか
商店街がどうとか
そういうもので簡単にカテゴライズできるものではないのだ

ノスタルジーってのは
もっともっとパーソナルで 奥深く 70億通りの鍵穴が しかも無数に呼び起こされる
そんな 刹那の波動 不意の追憶 のことを言うのである 
と声を大にして言いたいものです



自分で書いて思ったけどもさ なんだこれ

随筆っていっていいのかねこれ まあいいや


エッセイ④ 「ゆるい」を狙うと寒いだけ

たまには由しなし事をつらつらします

今さらでみんな知ってることだけど 
はっきり口に出して言う人はあまりいないので この際はっきり 

タイトル通りです 
ゆるさ ってのは狙ったら必ず見透かされるし どうしょもなく寒いものです

そもそも我々素人の作る動画というものは 
まずどうやっても 多少ゆるい その域を出ないので

作る側の狙いとして 意図的にゆるくしてはいけないのです ゆるゆるになる
まあしたっていいけど 結果は非常に寒いものになるのです

少なくとも 「面白い動画を心掛ける限り」は 絶対にゆるさを足してはいけない
どちゃ寒化は免れません 

私チャリも 相変わらず低クオリティながら
100本以上も懲りずに 動画をせっせとやってきました
自分で「神回」なんてものがあるとは思えませんが
タグで神回とか付けられると 単純に喜びます

が じゃあ逆に それ以外は凡回というものになるわけで 
とも考えてしまう 実際には 全部といっていい 凡回なのです 頑張っても
むしろ頑張らなきゃ 即ゴミ回です
(実際にそれは自覚あるものが数本あります ひどいね)

この凡回 というものを減らすことは なかなかできません
意図的に全部「神回」にしようと思ってできるなら 誰でもやってます
それができるのは確かな目的をもち 予算が組まれ 集団で期間を要し 
制作できる人たちだけです つまりプロです 営利的な動画制作になります

もちろん 凡 以上 神 未満 の「良回」が出来ればいいのです
が これがある意味一番まずい 良回 ってのは 頑張ってそれをキープし続けたら
凡回 と変わらんのです

しかし我々はあきらめてはいけない
とにかく絶対に陥ってはならないのは 「ゆるさ」への逃げです
安易にゆるくして ゆるいよー ゆるいでしょー
という顔をしない 絶対にしてはいけない

確かな実力を伴わない ゆるい面白さ など 存在しません
わざとテキトーに作って なんの骨もない者が 醸し出されるゆるさで面白くする
そんなものは頑張って神回を毎回目指して作って
毎回神回にする以上に不可能なことです

ゆるさ がウケるのは 「ゆるさを見出されたとき」だけと知るべきです
作り手が放つことは出来ない
全てにいえることかもしれません

とにかく 受け手 動画の場合 視聴者のみなさんですが
見ている人が ゆるぃなあ と自発的に思うことで面白いのであって
ゆるいことをやっているのを見せつける面白さ などは本来存在しないものです
ここをはき違えてはいけないなと かねてから強く思うところです 

長々と中身がない繰り返しのような事を書いてしまいましたが
今なぜかこれをとても肝に銘じなくてはいけない気になっていて
自戒と それ以上に つまんねー動画が増えたなあ と思うからです
ついつい怒りの意味も込めて 

これからも そういう部分だけは間違った方向に向かわないように
自分もやっていきたいな と常々思っとるわけであります


もしかして今
「え じゃあいつも 全力でやって あのゆるさなのか? ウッソだろうお前」
とか思われましたかね

ショック!


エッセイ③ 弾幕と僕 ありふれたゲーム好きの20年間を振り返る


勇者ああああで弾幕を特集していて嬉しかった。

テレビにけちをつけるほど子供でもないのですが、
やはり弾幕と聞いては黙っておれませぬ。

個人的に好きな弾幕を思い出と共に振り返りたいなあ、なんて思います。
めんどくさいので画像は用意しません。

1997年、群馬から上京して下総中山の予備校寮に入った自分は、
御茶ノ水の予備校になど全く通わず、下総中山のゲーセンにいりびたっていました。

そこで出会ったゲーム達。
非リアルタイムのゲームで置いてあった中では
アルカノイド・カダッシュ・ダートダッシュタイムクライシス
をガッツリ遊んでいましたが、

STGはまさに偶然その年が花盛り。冬の時代から脱却の兆しを見せていました。
(その後にCAVEの独壇場になるとはだれもまだ予期していなかった)
そんなことは知らない18の自分は、「おっこれとこれとこれ面白いな」
ってだけで遊んでいました。

中山のゲーセンにも、まさにそのリアルタイムヒット作STGが入っていた。
これが大きかった。レトロ中心なのに、なぜか最新作もけっこうあった。
まあ97年はまだまだゲーセンは盛っていましたよね。
総武線のすべての駅前にゲーセンありましたもんね。
市川は当時から無かったかもしれないけど。平井もあったはず。
あとは西船橋御茶ノ水の全駅にあったはず。

話がそれましたが、以降ロングヒットとなる97年製STGの3作
怒首領蜂」「STRIKERS1945Ⅱ」「Gダライアス
が、まさに稼働していたのです。Gダラはプロジェクター大画面ですよ。それで50円。

1945Ⅱは チャリが生涯で「ゲーメスト読んでパターンを勉強した」唯一のゲーム。
Gダラは予備校でクリアできる人がいたので教わってクリオネ倒し。
しかしやはりダントツに惹かれ、やり込んだゲームは

怒首領蜂

でした。
もう楽しいのなんのって。道中から楽しい。
マゾヒズムをとことん刺激してくるそのゲーム性に、すっかりやられてしまいました。

思えば少年の頃から
ファンタジーゾーンの2面ボスの上から降ってくる弾に見とれてたりしました。
ザナックの要塞発狂とか、ホントに好きで。
画面が弾まみれになることの楽しさを既に知っていた。そういう自覚はありました。
倒さないで、延々避けてた。そしてこういうのもっとやりたい、と思ったもんです。
「なんでもっと弾がわらわら出てきてそれをよけまくるゲームがありそうでないんだろう」
とは、それ以来、漠然とずっと思ってたことのような気がします。
それが目の前に現れた。もうやみつきでしたね。

その後、大学に入った98年以降、音楽サークルとゲームというのが
学生ライフの柱になり。この時の「ゲーム」とは、
①家でファミコン②ゲーセンでSTG
という意味でした。

そしてこのSTG、とは、
まさにリアルタイムで隆盛を極めていった
「CAVEシュー」を追いかける形になったのです。
大学6年までいたのですが、つまり2004年まで
ほとんどCAVEシューをゲーセンで、リアルタイムで触りました。

エスプレイド、(非弾幕)弾丸フィーバロン、ぐわんげ
プロギア、IGSの蜂Ⅱ、
大往生白、大往生黒、ケツイ
↑ここまで信者。

エスプガルーダで??ってなって、
虫姫さまで「ああ、こうなっちゃうか」
ってなりました。まあクリアしてますが。
その後はリアルタイム追っかけはやらなくなりました。
大学出たからではなく、冷めたからですね。うん。こういう人は多いでしょう。
2005年の鋳薔薇やガルーダⅡは、もうリアルタイムで触っていません。

そのころ、さすがにインターネットについていかなきゃと思っていた時期。
どうもオタクさんたちの世界でも弾幕STGが過熱している、と聞くようになりました。
「東方」ですね。
もろに同人同人した世界を感じたので、←偏見なのか事実そうだったのかは知りませんよ
ご多分にもれず「うわあ・・・」と思ってスルーしました。
(今みたいにPCゲーが一般的趣味になっているという世界は来ていない)
自分が機械に人一倍疎い(現在も)というのもあって、ようわからん、で済ませました。
やっときゃ別の人生があったかもしれませんがね。
もうその時にはCAVEに少し幻滅していたので、
自分のゲーセンライフはいったん沈静化します。

でもPCでSTGをやりはじめるんだなあ。このあたりから、2009年くらいまで
PCの弾幕STGが自分の訓練の場でした。東方はやらなかった。
毛嫌いとかじゃなくて、本当によく知らなかったというのと、
環境満たしてなかったんです。PCスペックが全然だったので落とすのを躊躇していた。

そんなんでやるもんだから、東方じゃなくたって満足にはできません。
「しろいだんまくくん」にはPCをボロボロにされました。良い思い出。

そして今でも思い出したら楽しむ「ABA GAMES」の数々。神です。
その辺の商業ゲームを軽く蹴散らす中毒性。
今でも思い出したらやります。「Noiz2SA」マジ神ゲーです。
時を忘れてずっとやっちゃう。「rRootage」「PARSEC47」。やりまくりました。


2006年から2008年まで、バイトで生活しながら
音楽活動(自主製作CD)に本腰を入れていたので
ゲーセンは息抜きの場に。しかしわりとやってました、弾幕だけは。

「HEY」を見つけてしまったんですね。学生の頃から存在は知ってましたが、
ここがまあ、いつまで経っても好きなゲームを置き続けてくれるじゃありませんか。
本格的に通うのはこの時期から。
ここで今まで触れていなかった名作STG「究極TIGER」「BATSUGUNなど
や、1945シリーズ以外の彩京STGにも触れ、体験的知識を深めます。
(ただし、まだ「バトルガレッガ」は怖くて敬遠していた。もったいない。
いつかやろうと思いながら、やり始めたのは、だいぶ後になってから)

2009年からは音楽活動は年に1回のライブだけになり、
あとはバイトで口に糊するだけの日々。30代突入。人生詰み寸前。
でもゲームはやってた。
自宅でのファミコンやPS・PS2のゲームが中心でした。この頃から、
過去のACゲー名作をPS・PS2に移植したやつ、の中古品を
ゲームショップで漁り、秋葉原のフレンズでFCカセットの中古を漁り、
という日々の最後の時期に入ります。

もうすっかり「CAVEシュー?ああそんなんもあったなあ」という感じになり
HEYで「怒首領蜂」「ケツイ」をたまに遊ぶ程度に。
(でも実は虫姫さまふたりBlackレーベル」のオリジナルモード
は面白いので、今に至るまでちょこちょこ遊びます。)

2010年くらいから世間でも
「CAVEは過去作にもたれかかるオワコン会社」と認識される時代に入ります。

弾幕との付き合いという意味では自分の思い出はここまで
で終わるはずでした。しかし

「死ぬまでにこのゲームを知っておかなきゃいかんだろう俺!後悔するぞ!フェア」
が発生。これが2011年から2014年くらいまでに猛烈に襲ってきます。
かつてアルカノイドを97年にクリアしたあの興奮。アレを求めたのです。

そして始めたドルアーガ
ワンダーボーイモンスターランド。そして、バトルガレッガ
他にもいくつかありますが、これらを遊ぶことで何か重要なことを学びました。
真の名作が持っているオーラというか、やっぱあるんですよね。
そして弾幕STGでは、これはやはり怒首領蜂」にしかなく
他作には一切感じられない空気、そんな気がしたのです。好き嫌いじゃありません。
感じる風格というか。絶対感。やはり弾幕STGとは

バトルガレッガからの風格を受け継いだゲームとしての)
怒首領蜂


のことなのです。それが言いたかった。
それとどうでもいいことですが、首領蜂も「非弾幕」といわれてますが
わりと弾幕STG的な要素を多分に含んでるんですよね。
まあ完成度が低いゲームなのでどうでもいいですけど。アレはまだCAVE未満。

それからまた怒首領蜂だけは遊ぶようになります。
ゲーセン≒メダゲになった今でも、秋葉原に行けばだいたい
「ちょっとHEYで蜂とガレッガやってこ」となります。
あと密かにライデンファイターズJET。ジャッジスピアでバチバチバチ!

ガレッガを定義から除外して、個人的弾幕BEST5を挙げるなら
やはり全部CAVEになっちゃいますね。
と思ったけど、違うわ。マイルストーンSTGがあった!ありゃあやばい。素晴らしくすき。

アレは弾幕ではないという意見もありましょうが、避けなくても弾幕弾幕です。
じゃあギガウイングとか斑鳩弾幕じゃないんですか?弾幕でしょ。
だからラジルギカラス弾幕なの。おわかり?

1・怒首領蜂
2・ケツイ
3・怒首領蜂大往生BL
4・ラジルギ
5・ぐわんげ

他メーカー弾幕も好きなのたくさんあります。
式神の城Ⅱなんかも良いですよね。移植買ったし。

バトライダーとかバトルバクレイド弾幕ですよねもう。そう思ってます。
ガレッガの風格こそないものの、充分に面白いです。

いわゆるYGW降臨後のCAVEだって好きです。いま冷静に見て触ってみると、面白い。
特に鋳薔薇(無印)は最高です。もうなんというか、ゲーム業界への唾吐き具合がね。
須田剛一作品もそうですけど、なんというか、
率直に表現した結果、完全に商業を逸脱するけど、そのまま出す」感じが最高です。
って、まあさすがに無印の鋳薔薇弾幕じゃないな。

やがてバイトを脱却し、生活が地味にしかし確実に変わってしまい
ゲーセンに行く時間はあるけど、その気概をなくしていた自分が、
それでも習慣でふらっとゲーセンに行き
ある時メダルゲーム(緑プログレ)に座り、
そこからぬるっとじわっと人生が変わりますが、
その辺の話は、今まで動画でさんざんしてきたのでいいでしょう。

いつか今度は「僕とファミコン」で語りたいと思います。


エッセイ② 愛情表現


RTA in JAPAN っていう集いのもと遊んでる人たちの
(何やってるか説明不要な名前ですな)動画を楽しく見ています。
ガチなやつから非常にバカユニークなやつまで多種多様。
もちろんゲームの話です。

自他ともに認める老害としては、ちょいとゲームチョイスに
ファミコン・MD・PCエンジン」が少ないことに不満を持ちつつも、
やはり知ってるゲームのやつは面白いもので、特にファミコンで自分がクリアした
ゲームのRTAというのは、驚きと共に楽しめるもんです。

そこで見つけた「SDヒーロー総決戦」のRTA配信の動画。
まさにプレイ中の走者自身と、
もう一人実況解説役という「聞き手」の二人でマイクで喋りながら
RTAが進行していくという、この集いではお馴染みのスタイルで、
このゲームでも走者の知識とやり込みがいかんなく発揮されたプレイになってましたが、
(ちなみに最強キャラ「ジバン」は禁止という縛りでプレイしていた)

この動画に関しては他の内容をほとんど忘れ去るほどのワンシーンがありました。
おそらく見た人の大部分がそこに引っ掛かって他の印象が吹っ飛んだものと思われます。

それは、9面(最終面)に入っての雑談の中で
ある種唐突になのか、会話の大きな流れ上でか、は微妙なところですが
プレイ走者がつぶやきます。

走者 「実はこのゲーム、今、478本持ってるんですよ」
    1秒の真空
聞き手「・・・はい?・・・・・・400?」
走者 「78本(ニヤア)」
聞き手「・・・を、持ってるんですか?」
走者 「持ってます。(ウフ」
聞き手「なんでですか!(ニコニコ」
走者 「あっ

ミス→落下死
これでノーミスクリアならず

2人 「www」
聞き手「すいませんわたしのせいですこれはw」
走者 「いえいえいえw」

基本この人たちのプレイ生配信は
わきあいあい催しのようなので全然問題なく、そのまま続けてクリアして終わりましたが。

この動画ではもうここしか記憶に残らず、そのあと悶々と考えさせられました。

この人は、このゲームを極めるだけじゃなくて、所持数でも誰にも負けたくなかったのか。
仮にコレクター欲求が強めなタイプの人だとしても、
このそこまでメジャーでもないファミカセを478本は、どう考えてもやりすぎである。

例の燃えプロ集める人くらい徹底していれば、
「どうだい俺バカだろという突き抜け度合いだけで一点勝負」ともとれるけども。

SDヒーロー総決戦ってのは、全くもってその方向性にそぐわない存在です。
そもそも面白いゲームなので、ネタ度が全然足りない。

よほどの富豪で金余りなのか。いや、富豪がSDヒーロー総決戦なんか集めないだろう。
そんな金の使い方は斜め上すぎる。
ボンボンなのかもしれないけど。それはありそう。
まあ知らない個人への無意味な詮索はやめましょう。失礼しました。

しかしこの人個人の内面でなく、「この人のような人」の内面に共通するものには
興味を持たざるを得ないですね。自分にもそういう部分があるのかもなあ、という話。

何かに並々ならぬ執着心を静かに燃やす系の「この人のような人」は
ジャンル問わず世の中にたくさんいるわけです。

この人は、外から見てどうこうじゃなくて、自分の中の愛情表現として
このゲームを「見つけたら買っている」んだと思われます。想像ですが。
このゲームが彼の人生を潤してくれたのでしょう。感謝として買っている。
そう想像せざるをえません。だとしたらなんて素敵やん。
(でもどこかで他人から「なんてアホなんだ」と思われることで、より満たされる。
そんな部分も男の子には必ずあるので、そこも含めて愛情を確認しているということです)

自分にもこんな部分、そんな「男の子らしい部分」というか、
が何かに発揮されていないかというと、
思いきり思い当たりました。残念ながらゲームじゃないな。音楽です。
いわずもがな、STEVIE WONDER への愛情です

ええもちろん自分が世界一のスティーヴィー信者だなんて
自己暗示かけても思えやあしません。
しかし他人関係なく、自分の中でいかに特別かは、もうよく考えるまでもない話。

だいたいですが、自分の持っているCDの6割は中古で買ったもので、
3割はレンタルしてCD-Rにダビングしたものです。
新品で購入したCDは全体の1割もない。
全部新品なんて、若い頃なんて特にですが無理も無理、絶対に無理です。
金がいくらあっても足りないし、中古CDは音が3倍悪いなんてことはないんですから。

しかし1962~1995までの
ティーヴィーの正規アルバム26枚(←厳密にはここ難しい)は
全て一気に新品で購入しています。20代になって本格的に好きになってから。
(それまでは変な非正規BESTか実家のカセットテープを聴くのみだった)

それが何の意味があるのかなど考えずに。
別に「愛するスティーヴィーにちゃんとお金が行くようにー」
とかでもなかったし
「俺は正規で買ってるから普通のスティーヴィー好きとは違う」
なんて発想ではありません。まあこういう人いそうですけど、少なからず。
(そもそも自分の場合これだと他の好きなミュージシャンへのスタンスが崩壊する)

しかしホント衝動的にそうなったんだよなー。こんなの独占欲でもないし
なんていうんでしょう。もちろん同じCDを何枚も買ったりなんかしません。
あの時の「ああ全部新品で買いたい!」って感情は、後にも先にも
ティーヴィーにしか発生していません。

これが愛情か。違うにしても、どうだろう、自分は後悔していない。
そんなこと他にあるだろうか。ケチな自分が。

このことと、もう一つあります。
なんといってもその証明が、このブログ。

まだ死んでもいないうちから
ことあるごとにしょっちゅうスティーヴィースティーヴィーうるさいでしょう、自分は。
これです。おそらくここに自分の汚い部分の核心が詰まっています。

「俺は死んだからとか、そういうの関係なく
ずっつつつつつっつつつつとスティーヴィーLOVEを言い続けてんだよ。
おまえらみたいに訃報を受けてから思い出したように
大好きでしたとか
言い出すんじゃねーよ。」

たぶんこういうきったない心が絶対に自分にあります。すこし大袈裟に表現しましたが。
でもこんな誰と戦ってるのかもわからん、何より誰も得せず
このように吐露しても自分だけが恥ずかしい思いをすることが明らかな、
それでいてもそうしても、だのになぜ歯を食いしばってでも、
そんなにしてまでゆくのか という思いというのが愛情というものからきている。

「対象への強い愛情と歪んだ自尊心とが合わさりドロドロになった何か」
があります。

自分がここまでさらけ出したうえで言いたいことです。
おそらくこれがわりと「男子の標準」なんじゃないかな、と思うんです。

でもそれが表に出てこないように、うまーく趣味の中で昇華させるのが
賢い大人への道なんだと思います。
自分に関してはもう遅いです(真顔)